2020年11月、コロナ禍にもかかわらず、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団が来日し、メディアでも大きく取り上げられました。その際に2公演に参加したので、その記録を書きます。2記事とも、奏者や指揮者に関する前半は同じ内容を掲載します。
ウィーンフィル
まずは奏者と指揮者、そして曲目について。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団楽団 (通称ウィーンフィル・VPO)は、クラシックファン以外でも名前を聞いたことのある、世界最高峰のオーケストラです。年末年始には日本でもニューイヤーコンサートが放映されているので、名前を聞いたことがある人は多いはずです。
その歴史は古く、映画を極めたハプスブルク帝国の首都で欧州随一の国際都市だったウィーンで、1842年に設立されています。その華やか文化と、伝統や格式を重んじる気質はそのままウィーンフィルの特徴になっています。
ウィーンフィルの奏者はウィンナーホルンを筆頭に独自の楽器を使い続け、また奏者もウィーン国立音楽大学で現役奏者から指導を受けた人間が入ることが多いなど、良くも悪くも保守的なオーケストラです。なお、ウィーンの伝統的な楽器の製作が職人の不足によって継続が難しくなっていて、なんと日本が誇る楽器メーカーYAMAHAがその楽器製作のお手伝いをしています。非常に誇らしいことなので、もっと大々的に広めてもいい気がするのですが。。
ともかく、演奏レベルが高いだけでなく、特色も非常に強い、まさにオンリーワンでナンバーワンなオーケストラです。同じく世界最高峰のベルリンフィルが、常任指揮者を置いて、その指揮者と長期間音楽を作り続ける中で独自のサウンドが醸成されてきたのに対し、ウィーンフィルは、常任指揮者を置いていない。昔は主席指揮者というタイトルはあったが、それも1933年以降はおらず、奏者自身が伝統を守って着たことがわかる。
ヴァレリー・ゲルギエフ
1953年生まれ、ロシア出身の指揮者です。著者も知りませんでしたが、ロシア人ではなくオセチア人とのころ。サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場を世界のトップクラスに引き上げた功績で知られています。近年では2007-15年にロンドン交響楽団の首席指揮者でした。現在ではウィーンフィルはじめ最高峰のオーケストラを振っている、現役の巨匠です。
コロナ禍での来日
今回のウィーンフィルとの来日は、新型コロナウィルス蔓延の前から予定されていました。当初は中国から始まって各国を回るツアーを予定していたそうですが、中国などほとんどの国へのツアーは中止になりました。結果的に、コロナ後ウィーンフィルの初めての海外ツアー先が日本となりました。その理由は、ウィーンフィルのツアー受け入れを承諾した政府が日本とアメリカしかなかったとか、ギャラの問題だとか、諸説あります。
曲目も基本的には元々予定されていた曲目ですが、コロナはじめ悲しいニュースを乗り越えるために、ゲルギエフの要望で急遽チャイコフスキーの悲愴をメインプログラムとした公園を追加しました。今回の来日への想いを強く感じます。
演奏会について – コリオラン、ロココ変奏曲、英雄の生涯
2020年11月13日(金)、サントリーホールでの演奏会の記録を書いていきます。
曲目は以下でした。
序曲『コリオラン』 / ベートーヴェン
ロココの主題による変奏曲 / チャイコフスキー
英雄の生涯 / リヒャルト・シュトラウス
序曲『コリオラン』 / ベートーヴェン
人生初、ウィーンフィルの生演奏はベートーヴェンでした。
RBというステージに近い席だったのもあり、指揮者やコンミスがよく見える位置で、どうやってアンサンブルしているのかを必死に見ていました。コリオランの演奏は、終始安定感に満ちていて、危ないところが一切ない、安心して聴ける演奏でした。
ロココの主題による変奏曲 / チャイコフスキー
ソリストは日本を代表するチェリストで、サントリーホールの館長でもある堤剛氏でした。大御所の最後の融資を見にきている、といった風の観客も多くいたように見えました。演奏の印象としては、正直ソロには特別感動せず、その割に随分自由に演奏するので、伴奏するオーケストラ側は合わせるのが大変だったろうなと思いました。しかしウィーンフィルはそういった大変さを全く感じさせず、最後までぴったりのアンサンブルをしていて、本当に感激しました。
英雄の生涯 / リヒャルト・シュトラウス
今回の来日プログラムの中で、最も印象に残ったのが英雄の生涯でした。冒頭の低弦+ホルンの英雄の主題から既に感動でした。また、この曲のために女性のコンサートミストレスが演奏したのかなと思うくらい、シュトラウスの妻パウリーネを象徴するバイオリンソロがとても素晴らしかったです。どのパートも素晴らしかったのですが、特に印象に残ったのは、コンミス・ホルン・コントラバスです。
また、技術的に非まったく常に困難な箇所も含めて、音楽がずっと極めて自然に流れていたことにも驚きました。たとえば昨年聞いたベルリンフィルであれば、もっと技術の高さが前面に出て圧倒してくるような印象もあるのですが、ウィーンフィルにはそれがありません。どの部分も素晴らしいのですが、それが当然とばかりに、いい意味で特別感がありません。誰がどのフレーズをどのくらい歌い、全ての和音の音量バランスがあらかじめ決まっているかのように、まったく事故の起きる気配のない、スケールが大きいのに洗練された音楽でした。
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