偉大過ぎる作曲家
クラシック音楽で最も重要な作曲家は誰かと問われたら、私はベートーヴェンだと答えます。
人によっては和声と対位法の巨匠にして近代音楽の父であるバッハと答えるかもしれないし、クラシック音楽を肥大化させ、その崩壊を予感させたワーグナーを挙げるかもしれない。十二音技法のシェーンベルクと答える人もいるかもしれない。
これら超重要な作曲家たちを踏まえてなお、私の音楽の好みを超えて、やはりベートーヴェンが最も重要だと思うのです。以下では、そんなベートーヴェンを象徴するキーワードを挙げて、偉大さの理由を追ってみます。
ベートーヴェンの9つの交響曲
彼は交響曲を9つ書きました。それらが後世の作曲家にとって指標になると同時に、超えられない壁であったことは、周知の通りです。9つの中でも特に3番以降は現在でも演奏頻度が高く、またそれぞれの楽曲がエピソードと共に言及されます。以下でいくつか紹介します。
交響曲第3番:”英雄”や”エロイカ”の名で有名ですね。ナポレオンに捧げるつもりでいましたが、彼が皇帝になったと聞いて、「彼もまた、俗物だったか」と言って激怒し、表紙を破り捨てたというエピソードも有名です。その後も”英雄”的な音楽といえば誰もが想い起こす楽曲となりました。
交響曲第5番:”運命”と呼ばれる第5番は、第9番と並んで恐らくこの世で最も有名なクラシック音楽の楽曲です。冒頭の”ジャジャジャジャーン”は、日本の小学生でも知っています。そして後述するように、クラシック音楽の、ある種の頂点です。
交響曲第7番:ニックネームはないですが、日本人にもとても人気ですね。ワーグナーが舞踏の権化と称した強烈なリズムの強調は、フランス革命で蹂躙されたウィーンの市民を鼓舞するためのものです。曲を通じてエネルギーに満ち溢れています。第2楽章は映画『英国王のスピーチ』でも使われていましたね。
交響曲第9番:日本では”歓喜の歌”とも呼ばれますね。第4楽章は世界で最も有名なクラシック曲の一つです。欧州評議会では「欧州の歌」として欧州の象徴とされているし、日本でも合唱曲で良く歌われます。人類最高の芸術作品とも評され、第5番とともにベートーヴェンの超有名な代表作です。
ベートーヴェンの32のピアノソナタ
また彼は、32のピアノソナタを残しました。バッハの平均律クラヴィーア曲集は、その偉大さから”旧約聖書”と称されますが、それとの対比で、ベートーヴェンのピアノソナタは、”新約聖書”と称されました。ここからも、偉大さの一端が垣間見得えます。
彼のピアノソナタで特に有名なものとしては、前期の三大ソナタと言われる”悲愴”、”月光”、”熱情”が挙げられます。これらも、ベートーヴェンの代表作であり、名曲です。”悲愴”の第二楽章や”月光”の第一楽章はクラシックを聞かない人でも聞いたことがあるでしょうし、”熱情”は交響曲の第5番と同じ意味で、クラシック音楽のある種の頂点です。
他にも、ニックネームのある有名な前期の作品では”テンペスト”や”ヴァルトシュタイン”があり、中期の傑作”告別”があります。また、マニア層以外には知名度が低いですが、後期の三大ソナタ(30番-32番)は、彼の新境地であり、全くユニークな世界です。
暗闇から光へ – ハイリンゲンシュタットの遺書
ハイリンゲンシュタットの遺書というのは、音楽家でありながら20代で既に難聴に苦しみ、成就しない恋に苦しみ、命を絶つことさえ考えたベートーヴェンが、兄弟へ宛てた手紙です。その中で彼は、苦しみの中で、芸術に一筋の光を見出し、芸術で全てを出し切ることが自分の生きる道だとしました。ハイリンゲンシュタットの遺書以降、ベートーヴェンはロマンロランによって”傑作の森”と評された、名曲を次々に生み出す時期に突入します。
遺書を書くほどの辛く苦しい状況を乗り越えたこと、加えて彼の生い立ち、つまり庶民の出であることや、貧困や家庭内暴力のエピソードも手伝って、苦悩する人生という、強烈な世界観を練り上げます。まさに”若きウェルテル”であり、”疾風怒濤”です。そして、苦悩の中で悶え、困難に正面から立ち向かい、努力し、壁を乗り越えた先に、最終的には歓喜や栄光を手にするという近代の価値観と結びついていきます。まさに、ベートーヴェンを象徴する”苦悩から歓喜へ”というフレーズであり、その強烈な表出が交響曲第5番”運命”というわけです。
コスモポリタニズム
ベートーヴェン以前の音楽は、主に教会や貴族のものでした。西洋音楽の発展自体が中世のグレゴリオ聖歌なしには考えられませんし、現在まで続く音楽の基盤を構築したバッハも、プロテスタントとして教会に属して音楽を作り続けました。その後教会の権威が失われる中で貴族の時代になると、エステルハージ家に仕えたハイドンのように、音楽家は宮廷に属して生きていくようになります。
そして、その音楽を教会や貴族だけの狭い領域から解放し、心血を注いだ作品で全人類に語りかけたのが、ベートーヴェンというわけです。単に次の時代の扉を開いたにとどまらず、その後の西洋音楽の道筋を決めてしまったと言っても過言ではなく、後世への影響は絶大でした。そんな彼を、敬意を以て日本では”楽聖”呼びますね。
全人類に語りかけた作品の最たるものが、シラーの詩『歓喜に寄す』を引用した彼の最後の交響曲、第9番です。そこで描かれているの歓喜は、貴族だけが愛好する上品な世界観でもなく、玄人だけが理解する学問の世界でもない。全人類が分かち合える、『歓喜』です。ベートーヴェンの、コスモポリタンな一面がそこにあります。
フランス革命の精神を引き継いだ、近代の申し子
ベートーヴェンの生まれがドイツのボンであることは、クラシックファンに限らずよく知られています。ですが、ボンがドイツのどの辺にあるのかを知っている人は、意外と少ないのではないでしょうか。
地図を見てもらえればわかりますが、ベルリンよりも、ウィーンよりも、パリに近い位置にボンはあります。彼はボン大学でドイツの文学や哲学を学ぶだけでなく、フランス革命の理念やナポレオンについても関心を寄せていたはずです。時代の大きな転換点に生き、市民社会の到来を肌で感じ、自由・平等・友愛の精神に共感していたのが、ベートーヴェンという作曲家の青年期です。まさに、近代の本格的な始まりと同時期に生まれてきたのです。
そしてベートーヴェンの音楽もまた、近代を象徴する要素を多分に含んでいます。先に述べた”苦悩から歓喜へ”もそうですし、のちに述べる動機労作もそうです。生まれに関係なく、一生懸命働けば成功者になれる資本主義の到来期には、動機労作の勤勉性はとても時代に則したものだったと思います。また、どんなに苦しい思いをしても、ベートーヴェンは基本的にはポジティブです。第一次世界大戦前後のような厭世観や絶望感がなく、明確な目標に向かって一直線に向かっていくような愚直さがあります。まだ勤勉の先に人類全体の幸福があると信じられていた時代の音楽、ということなのでしょう。その愚直さを持って、ベートーヴェンは自らの作品に常にひたむきに接し、当時としては革命的な作品を次々に生み出していきました。
大人しく座って、心穏やかに聞く音楽ではない
クラシック音楽のイメージというと、正装をしてコンサートに行き、行儀良く座り、楽章間に咳払いをし、休憩中にはシャンパンを飲み、、、といったところでしょうか。クラシック音楽を聞かない友人から印象を聞くと、「高尚」とか「敷居が高い」というイメージが強いようです。流れている音楽も、上品で流麗で、繊細なものであるという印象を持っている人も多いのではないでしょうか。
これらのイメージは、曲によっては正しいのですが、少なくともベートーヴェンの楽曲は、当てはまらないものが多いです。
ベートーヴェン以前の貴族の時代には、クラシック音楽の役割は主にBGMでした。それがフランス革命以後の市民階級の登場により、コンサートホールで一般市民が聞けるものとなりました。ベートーヴェンももちろん市民の存在を意識しながら作曲しました。少なくとも上流階級がくつろぐために書いた音楽ではありません。
また彼の音楽は、常に危機を驚かせることで有名です。上述の”英雄”はいきなり2発の強音連打から始まりますし、”運命”の有名な”ジャジャジャジャーン”は、これまた冒頭から強烈な音楽で始まるように書かれています。文豪ゲーテがコンサートで”運命”を聞いた時、冒頭があまりに強烈だったことで、建物が倒壊するのではないかと感じたほどです。
そこまでしてベートーヴェンが実現したかったことは一体何か。それは、聴衆の心を捉えて、強く揺さぶることです。BGMとして聞き流すのではなく、自身が血を流す想いで築いた音楽に正面から対峙してもらうことで、何かメッセージを伝えようとしたのです。ベートーヴェンはクラシック音楽のあり方を変え、それを後世の作曲家が引き継いでいくことになります。
動機労作
動機労作とは、ある動機を、曲中の主題・楽章全体の構成要素とすることで、楽曲に統一感を与える手法です。ちょっとわかりにくいと思いますが、建築をイメージすると少しだけ理解できるかもしれません。動機労作とは例えるならば、基本となる材料や素材を決めて、それらをうまく組み合わせて建築物を造っていくようなものです。今回はレンガと木材で教会を造ろうと決めたならば、初めは赤いレンガのブロックで創り始め、途中で薄い木材の板も使い、途中レンガの色やサイズを変えたり、木材の種類を変えたり、レンガと木材をうまく融合、調和させながら、最終的に俯瞰した時に統一感のある建築に仕上げるようなイメージです。
そしてその最もわかりやすいのが”運命”であり、”熱情”です。”運命”という曲は、”ジャジャジャジャーン”(赤いレンガ)で始まり、その続きをほとんど”ジャジャジャジャーン”という素材だけを使って組み立てて行きました。動機労作に、徹底的に拘って作曲したのです。
ベートーヴェンの作品はメロディーが人気だから名曲になったわけではありません。動機労作によって全体の構築性や統一性を保ちながら美しい音楽を書き、聴衆の心を動かすだけでなく音楽が芸術の一分野として相応しい中身を携えていることを証明したのです。そういう意味で、上述した通り、”運命”はクラシック音楽の一つの頂点なのです。
晩年
さて、前項ではベートーヴェンの偉大さを動機労作によるという視点から考えてみました。動機労作によるガッチリとした曲の構築性は、間違いなくベートーヴェンの偉大さを証明するものですが、ベートーヴェンの楽曲は全てが構築性を最優先に作られたわけではありません。
とりわけ晩年においては、構成の緻密さ以外の要素が曲の魅力を生み出しています。上述の”熱情”を作曲したのが34歳頃、”運命”が37歳頃です。ベートーヴェンは56歳で亡くなっているので、まだ20年近く作曲を続けることになります。その中でも特に、50歳を過ぎた頃から、青年期の音楽からは想像もつかないような、ウェットで、トグロを巻いたような音楽が生まれます。
その代表例が、50歳頃に書いた後期の三大ピアノソナタ30番-32番であり、死の直前に作曲された後期の弦楽四重奏13番以降です。前期のようなカッチリとした、明確な勝利に向かって進む近代人の象徴としてのベートーヴェンを好きな聞き手にとっては、晩年の作品はどう向き合っていいのかわからないかもしれません。
ですが私は、ここにこそ、ベートーヴェンが最終的にたどり着いた境地が現れており、かつ最も味わい深い各品郡になっていると感じます。芸術音楽において自ら近代の扉を開いたベートーヴェンは、その晩年において既にその矛盾と崩壊を見据えたような作品を生み出しているのです。
これらの作品では、単に”ロマン派的”といった言葉では説明しきれない、独自の世界観が形成されているのです。努力・勤勉・勝利といった神話を信じられなくなってしまった令和を生きる我々にとっては、もしかしたら晩年の作品の方が、困難な人生に示唆を与えてくれるのかもしれません。
ベートーヴェン x 恋愛
さて、最後は少し華やかな話題です。ベートーヴェンというと、皆さん小学校の音楽室に飾ってあった肖像画を思い出せるのではないでしょうか。白髪、しかめっ面で、主張の強い赤いスカーフが印象的です。力強さはありますが、甘さや若々しさとは無縁のように感じます。ベートーヴェンと恋愛という言葉は、なかなか結びつかないようにも思えますね。クラシックファンであれば、ベートーヴェンの恋愛エピソードを何となく聞いたことがあると思いますが、普段クラシックを聞かない人であれば、ベートーヴェンは恋愛とは無縁で、いつも新聞屋本を読んで難しいことを言っていたのではないかと想像されてしまっても無理はないと思います。
実際、本当に恋愛に無縁な人生を送った作曲家というのもいないではないのですが、ベートーヴェンに関して言えば、実は恋愛のエピソードに事欠かないのです。いくつか、紹介してみます。
月光 – ジュリエッタ:前期のピアノソナタの傑作”月光”は、伯爵令嬢であり自らの弟子もであった恋人ジュリエッタに捧げたものです。この恋は、結局身分の差もあって破れてしまいます。
熱情 – ヨゼフィーネ:20代の頃に恋慕していた名門貴族のヨゼフィーネは伯爵と結婚してしまいましたが、その伯爵が4年で亡くなり、未亡人となります。その後ベートーヴェンは熱烈な手紙を送ってアプローチしますが、”恋愛対象じゃない”と言われて失恋。当時作曲していて影響を受けているであろう曲の一つが、ピアノソナタ”熱情”です。
エリーゼのために – テレーゼ:40歳頃に出会った一回り年下のテレーゼ。その後1年ほどでフラれてしまいますが、交際当初に書いたのが有名な”エリーゼのために”。名前が違うのは、ベートーヴェンの字が汚過ぎて読み間違えてしまった、という説が有名です。
不滅の恋人:42歳頃に書いた手紙の相手であり、現在もなお誰なのか分かっていません。手紙の内容も非常に謎めいており、ベートーヴェンの恋愛事情の中ではある意味最も物議を醸しています。最近の研究では隠し子がいたとも推測されています。交響曲で言うと第8番を作曲していた時期に当たります。今後、不滅の恋人に関する研究が進めば、また新たなエピソードが出てくるかもしれないですね。
さて、ベートーヴェン x 恋愛 というテーマで書いてみました。特段、これらのエピソードから曲を理解すべきと思っているわけではないのですが、ベートーヴェンのとっつきにくいイメージが少しでも払拭でき、彼の音楽を魅力に感じる人が1人でも増えればと、願っています。
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